【Pick Up Owner #13 前編】Chased by Ghost of HYDEPARK|ファンは僕らを映す「鏡」であり存在意義

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2022/02/18 15:00

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大阪出身のエモーショナルロックバンド、Chased by Ghost of HYDEPARK(チェイスド バイ ゴースト オブ ハイドパーク)。日本各地を精力的にツアーで回るかたわら、台湾での音楽フェスティバル出演や現地ツアーも行うなど、その活動の幅は世界にまで及んでいる。


今回のインタビューでは、なんと現在既にファンクラブサイト「MANIA」のコンテンツは100本以上!?メンバー全員がいつの間にか動画編集から更新までできるようになっていた…という自称・DIYバンドのファンとの向き合い方について、リーダーのTAISUKEに訊いた。


MANIA – Bitfan



■「紆余曲曲折」あって集まったバンド

ーーーチェイスドをこの記事で初めて知る方もいらっしゃるかと思います。そんな方々に向けて、簡単な自己紹介をお願いします。


バンド名は「Chased by Ghost of HYDEPARK」といいます。メンバーはボーカルのKZK(カズキ)、ギターの僕、TAISUKE。もう1人のギターがIssei。ベースのHiRo、ドラムのYUSUKE、という5人編成です。


大阪出身なので、拠点は大阪に置きつつも常に全国をライブで回っています。この2年ぐらいはなかなかできていないんですけども…台湾とか海外でも活動していたりとか。そんな感じのロックバンドです。


ーーーありがとうございます。「エモーショナルロック」と評されることが多いですよね。ご本人としてはその表現はどうなんでしょう?


そう分類されることが多いですね。表現するとしたら、そんな感じで間違ってはいないやろうなと思っていますよ。


ーーーこの現体制のバンドになった流れを教えてください。2013年にバンドとしてスタート、本格的に始動したのが2017年ということですが。


結構…「紆余曲曲折」くらいありまして。もともとはいわゆるメタルコア、ボーカルはシャウトしかしません!みたいなバンドだったんですよ。そのシャウト担当だったボーカルが辞めることになって、今のボーカルのKZKに。最初はサポートでお願いしていました。


多分そのまま、2年ぐらいサポートしていてもらったのかな?その後正規メンバーとなってくれたのが2017年。その後もちょくちょくメンバーチェンジがあって、今のベースのHiRoが同じくサポートで入って、のちのち正規メンバーになって。


当時は僕と、いま「超能力戦士ドリアン」というバンドのギタリストであるけつぷりがギターだったんです。彼が抜けることになって、ベースのHiRoの紹介で今のギターのIsseiがやってきて。こっちもまたサポートとして入ってもらっていたのが正規メンバーになって、やっと今の形に落ち着きました。


ーーーかなり紆余曲折があったわりには、皆さんすごく仲がよさそうですよね。


ねえ!いまだに移動中の車内は修学旅行みたいな感じになってますよ(笑)もうこのメンバーでツアー回り始めてからかなり長いんですけど、それは僕にとっても新鮮です。


ーーーですよね、どの動画でも楽しそうで、落ち着くところに落ち着いたという感じ。バンド名はもとから「Chased by Ghost of HYDEPARK」でずっとやられてたのでしょうか。


そうですね。もう…なんでこんな長いバンド名にしちゃったのかっていう感じなんですけど(笑)本当は「チェイスト」と読むらしいんですけど、みんな「チェイスド」って言っていますね、響きもいいですし。


当時のメンバーが「とりあえずバンド名を長くしたら最近のバンドっぽいんじゃないか」と言い出して…「よしオッケー!」となってからの、こう(笑)一応意味は通るようになっているんですけど、長いですよね。


ーーーこれはそのまま、「ハイドパークの幽霊に追われる」でいいんですか?


そのままですね。


ーーー「ハイドパーク」って、GLAYの曲に出てくるなって。単に私がGLAYファンで思いついただけなのですが。


…お気付きになられてしまいました?


ーーーこれはまさか!?


僕、初めて買ったCDがGLAYのアルバム「HEAVY GAUGE」なんですよ。ジャケットが蓄光仕様で、夜になると光り出してちょっと怖いやつ(笑)その「HEAVY GAUGE」の最後の曲。


ーーー「Savile Row~サヴィルロウ3番地~」ですね。


そうです、そうです!その曲に“ハイドパークの午後の日差し”(※1)っていう歌詞があって、それが頭の中に残っていて。「ハイドパーク」っていう単語がずっと頭にあったんです。そのハイドパークでも音楽フェスをやっていたりする(※2)というのを知って、将来イギリスでもやれるくらいに頑張ろう、っていう思いを込めたりもしたんですよ。



ーーー私、「ハイドパークの午後の日差し」を浴びに現地まで行きました。


それは羨ましい…!“赤いバス”(※1、3)もいました?


ーーーいました、いました。ダブルデッカー、乗りましたよ。


うわあ、ええなあ。行きたい…。いつもバンド名の話になるとぼんやりとぼかしていたんですけど、初めてちゃんと当てられました。ああ、びっくりした(笑)


(※1:GLAY「Savile Row~サヴィルロウ3番地~」作詞・作曲 TAKURO)

(※2:ブリティッシュ・サマータイム・ハイド・パーク・フェスティバル。例年6月~7月にロンドンのハイドパークにて開催される音楽フェスティバル)

(※3:ロンドン名物の2階建車両の赤いバス。通称が「ダブルデッカー」)



■「とにかくライブをしたらなんとかなる」ギターとスピーカーとCDを持って、台湾へ

ーーーバンド名を考えていた頃から世界を舞台にしようという思いがあったのですね。台湾でもかなりライブ活動をされているじゃないですか?最初から日本にとどまらずに広く活動していこうと。


ありましたね。中でも台湾で活動を始めようと思ったきっかけっていうのは、朝のテレビ番組で「海外で注目されている日本のロックバンド」みたいな特集をやっていたのを見たからで。「これからは日本だけじゃなくて東南アジアも狙っていったほうがいいんじゃないか?」と。「台湾のワンオク(ONE OK ROCK)ポジション目指そう!」みたいな感じで。そんな勢いで始めました。


ーーー台湾になにか繋がりがあったというわけではなく?


それが、全然なくて!最初はもう…台湾でどうしたらライブができるかもわからなかったから、ギターとスピーカーと無料配布用のCD50枚くらいを持って台湾に行ったんですよ。「とにかくライブをしたらなんとかなるやろ」と思って。


ーーー世界に飛び込み営業…


です(笑)でも、どこでやったらいいかがわからんから。とりあえず台北の駅を出たところにある広場で爆音でやってたら、すぐ警察に止められて。まだ1番のサビまでぐらいしかやってなかったのに…。


ーーーそれは早い(笑)


爆速で来られましたね。せめてあと残り半分だけって頼んだんですけどダメでした(笑)「どうしようか、でも台湾にもCDショップはあるよな」って、観光ガイドで適当に調べたお店に行って「台湾でライブがやりたくて日本から来たんだけど失敗した、だからこの無料配布CD置いてください」と(笑)


普通に台湾の方しかいない、現地のCDショップだったんですが、店員のお兄さんが日本のMY FIRST STORYだったりKNOCK OUT MONKEYが好きだったりっていうのでかなり助かりましたね。


そんなハチャメチャやってたのを聞かれたみたいで、和歌山GATEっていうライブハウスの店長さんから「チェイスドって台湾でやりたいの?」と声をかけていただいて、それで初めて台湾の小規模のフェスに出られたんです。


ここからもまた紆余曲折なんですけど。その初めて行ったフェスで、ライブ写真を撮ってほしくてウロウロしていたら、大きなカメラを持ってる女の子がいたので「日本からライブしに来たんだけど、写真撮ってくれませんか」と頼んだんです。そしたら日本好きな子で、「OKOK!」と。


ーーーこれもまた、現地の方ですよね…?


そうです。ジーニーっていうんですけど。彼女は別の大きなフェスの撮影をやっている子でもあったので、「チェイスドだったらこっちでも出られるよ、どう?」みたいな感じで話が進んだり。


台湾の音楽シーンの「有名でも無名でも、面白そうなら出してみよう」という空気感がいいんですよね。僕らなんて完全に無名でしたし…これは日本だったらなかなか難しいことで。そんな感じでやってきていたんですけど、今はちょっとできていないのが。


ーーー今は大変ですけど、これからの海外展開も楽しみです。


僕、コロナウイルスが流行り始める前にすっかり味を占めていたんで(笑)海外のライブハウス、具体的に言うと韓国に開拓しに行ってたんですよ。何軒か見つけて連絡先をもらって「うわ、アジアまで広がったな!」と喜んでたらこうなってしまった。だから早く再開したいですね。



■僕の根底にはGLAYのTAKUROさんが作った曲がある

ーーー先ほど、初めて買ったCDがGLAYの「HEAVY GAUGE」だったとお聞きしましたが、元々そういう音楽が好きでそこから始めた、という感じなんでしょうか。


これがね、ちょっとまた色々ありまして。僕、小学校4年生の時に転校したんです。すごく悲しくて、でも何を思ったか小4当時の僕は「大人にならんといかん」と思ったんですよ。「もうメソメソしてられへんな」って。行き着いた先が「ドラマを見る」ことだった。大人な気がして。


ーーー夜に放送しているドラマって、大人な気がしましたよね。


とりあえず、いわゆる連ドラというものを見ようと。それで選んだのが福山雅治さんと木村佳乃さんが主演していた「パーフェクトラブ!」(※)というドラマだったんです。その主題歌がGLAYだったんですよね。「うわ!何これ!」となって、初めてCDを買いました。


(※:「パーフェクトラブ!」1999年7月~9月に放送された、フジテレビ系の月9ドラマ。主題歌はGLAY「ここではない、どこかへ」)



ーーーここから音楽を聞くようになったと。

そうですね、それまでも父や母が聞いていた松任谷由実とかがなんとなく耳に入ってくるってことはありましたけど。自分から主体的にというか、聞きたくて聞くようになったのはこれがきっかけです。

ーーーやっぱりGLAYから、ロックとかバンドっていうのに憧れが?

ありました。ただ僕、全然音楽に詳しくなかったので、GLAYがバンドだと知ったのはずっと後なんです。全員で歌ってる…SMAPみたいな感じだと思ってて。多分中3とか高1でバンドという概念を知った時に、改めて「GLAYってバンドやったんや!」って。でも多分、僕の根底にはGLAYのTAKUROさんが作った曲があるんだろうなと思っています。



■音楽性はバラバラ。メンバーそれぞれの得意な部分を活かす
ーーー他のメンバーの皆さんも音楽的には似たジャンルを通ってこられたのでしょうか。

かなりバラバラですね。ベースのHiRoはRed Hot Chili Peppersとかが好きで、ボーカルのKZKは2000年代洋楽ロック、Hoobastankとか。ギターのIsseiは割とヴィジュアル系も通ってたり、洋楽メタルも好き。ドラムのYUSUKEは、ボカロですね。

ーーーボカロ。意外です!

だから、僕がYUSUKEにレコーディングで「この曲、あのバンドのこの曲の感じのドラムがいいねんな」みたいな話をすると「…はて?」みたいな顔をされることも(笑)

ーーーちょっとぐぐるわ!から始まるわけですね。

「ちょっとYouTube見てきます!」みたいな。「そうか、あなたはボカロだったか…」って。

ーーー音楽性の違いでメンバー同士がぶつかることってあるんでしょうか。

それはないですね。僕が曲を作る時って、8割5分くらいはデモを作っちゃうんです。それを皆に「かっこよくして!」みたいな感じでお願いする。それぞれのメンバーが得意なことってあると思うので、それがいい感じに入ってきたらいいな、と。みんなそれぞれ僕が得意じゃない部分を持っているので、すごく助かっています。

ーーー好きなジャンルが違ったり、感性が異なるがためにできていることなんですね。

そうですね。やっぱりそういうところから来ているんだと思います。

ーーーKZKさんのインタビューを拝見したらBjörkが1番好きとおっしゃられていて、それもまた意外でした。

それは僕も「Björkなんや!?」と思いましたよ(笑)それこそ「MANIA」のコンテンツで「メンバーのことをどれだけ知っているのか?」をクイズ形式でやってみたんですけど、その時もKZKはそう言っていましたね…。「好きなボーカリストは誰ですか」にメンバーはそれぞれUVERworldのTAKUYA∞さんだとか、ONE OK ROCKのTakaさんだとか答えるんですけど、KZKはBjörkって。


■KZKが頂点に立っている姿を隣で見たい

ーーー紆余曲折ありつつも、チェイスドとしては10年近く活動されているわけですよね。継続することへのモチベーションというのはどこにあるのでしょうか。


それこそ最初は、自分のためみたいな部分もあったと思うんです。僕の場合ですけど。


「いい曲作りたいな」みたいな、やましいところがあった。結成当初はそんな感じだったかもしれないんですけど…KZKが歌ってくれるようになった時あたりだったかな?KZKは最初、自分のバンドをやりながらサポートでチェイスドもやってくれていて、ものすごく大変な忙しい時期があったんですよ。


でも、KZKはやめなかった。ずっとサポートとしてやってくれている中で、僕は自分のために音楽をやっていたはずが、だんだん「KZKがかっこよく歌えるメロディーを作りたい」と考えるようになってきた。


一緒に活動してきて、お互いがどういう人間かっていうのがわかってきて、「KZKが頂点に立っているのを見たい」と思い始めてきたんです。その姿を隣で見たい。


それぞれメンバーもどういう人間だかわかってきたから、「このメンバーはもっとこういう風にできるだろうな」とか、お客さんも最近すごく僕らのライブを楽しんでくれるようになっているので、「こういう曲を作ったらもっと楽しんでくれるかな」とか。そういうのも入ってきたりして。すごく周りに恵まれているなと思います。


だからあんまりモチベーションが落ちるとかは感じたことがありません。「あれもやってみたいな」「これもやってみたいな」っていうのがどんどん出てきて、実際にそれができたら「よっしゃ!」ってなってまた頑張れる。その繰り返しだったから、しんどくなることもなくやってこれたんだと思います。



■「今から10時間歩きながら曲、作るか!」

ーーーこれまでの活動で大変だった、壁にぶつかったなと思ったことはありますか。


ありますよ!なんというか、物理的に大変だったことが(笑)2018年かな?9月にツアーで北海道に行ったんです。ライブが終わって、さあ帰ろうかとなった日に大阪に台風が直撃して。関空の橋が折れた事件(※1)が。


ーーーありましたね。ちょうどあの時に関空へ戻る予定だったと。


そうなんです。帰れなくなってしまったので、北海道での滞在を伸ばしたんです。そのまま北海道を楽しんでいました(笑)今度こそ帰ろうとしたら、今度は地震(※2)が起きたんですよ。


(※1:2018年9月4日、台風21号の直撃により関西国際空港への連絡橋にタンカーが衝突。空港が閉鎖され、運行を再開したのは10日後の9月14日だった)

(※2:2018年9月6日3時7分、北海道胆振地方中東部を震央として発生し、最大震度7を記録した「平成30年北海道胆振東部地震」。新千歳空港は終日閉鎖となった)


ーーーそうか、連続していましたね。タイミングが…。


今度は新千歳空港が使えなくなってしまって。そもそも僕らが滞在していたのが、北海道のライブハウスが紹介してくださったタワーマンションの一室をホテルにしていたところで。それが、30階。


ーーーしかも地震発生は夜中でしたよね。


もう相当揺れて!折れるんじゃないかと。暗い中、非常階段でなんとか下まで避難しましたが、どんどん停電してくるんですよ。全く状況が掴めない中で夜明けを迎えたら、どうやら新千歳空港が使えなくなっているらしいぞと。


でもその翌日、兵庫県でライブだったんです。さらにその次の日はレコーディング。「もうどうにかして帰らなあかん」って困ってたら「海は使えるな」と。


ーーーそれは…使えますけど…


「船は動くやろ!」みたいな。札幌から小樽まで行けばなんとか帰れるんじゃないかと思ったんです。小樽港からフェリーに乗ったら帰れる。でも停電しているから、信号機も止まっているし、タクシーもバスも電車も動いていない。けど、Google マップで見たら「40キロ」って出るんですよ。


ーーーああ、その先の予想がついてしまいました…


まさにその通りかと(笑)普段車移動ばっかりだったんで、感覚がちょっとおかしくなってたんだと思うんですよね…「40キロなら歩けるでしょ」みたいな。結果、12時間かかりましたね。


ーーー(笑)


最初の10キロくらいは機材を持って全員で歩いていたんですけど「これ、つかへんぞ!?」と気付いて。たまたまやっと通りがかったタクシーに「僕とKZK以外のメンバー3人とこの荷物を、頼むから乗せていってください!」とお願いして。僕とKZKはその翌々日のレコーディングの曲を仕上げたかったので…。


もうね、時間しかないじゃないですか。「よし、今から10時間歩きながら曲、作るか!」って。メロディーこうしようか、どうしようかって話しながら12時間かけて小樽までてくてく歩きました。あれは大変でした(笑)


ーーーちなみにその時作っていた曲というのは?


「HUNTING GROUND」ってアルバムに入っている「No ONE」と「SCAPEGOAT」って曲がそうですね。



ーーーこの裏話を聞いてからだと曲の聞こえ方が変わりますね(笑)小樽まで歩きながらこのフレーズを作ったのか…と。


そうなんです、そうやって作りました。だから直後のレコーディングの時にはもう「SCAPEGOAT」っていう曲はすでに僕の頭の中だけでは完成していたんですよね。ドラムからレコーディングをしようという時に「この部分はこう、こっちの部分はこう叩いて」ってYUSUKEに細かく伝えても、彼はどういう曲なのか全く知らないままで(笑)完成してやっと全貌を知るっていう(笑)


ーーー活動で大変だったことっていう質問には、やっぱり「コロナでライブが…」とか「うまく活動ができなくて…」とかを想定していたんですけど。


いやいや、もうそんなの!


ーーー物理的にキツすぎますよ、徒歩12時間は(笑)またそれも乗り越えたことで結束が強まったりとか。


その北海道から帰ったあとのライブで、対バンの方にまさしくそう言われました。「ほんまですか!?」てなりましたけど(笑)


ーーー仲が良くなかったら12時間も一緒に歩けないですよ!


確かに、歩いてる途中で揉めるな(笑)


ーーーちなみに、今まで音楽をやめようと思ったり、バンドの解散の危機、のようなことはありましたか?


ないです。メンバーはわからないですけど(笑)そんな話は出たこともないですね。




⇒ファンクラブ「MANIA」について語る!インタビュー後編はコチラ



MANIA – Bitfan



■Chased by Ghost of HYDEPARK/Profile


大阪出身のエモーショナルロックバンド。通称は“チェイスド”

メンバーはVo.KZK、Gt.TAISUKE、Gt.Issei、Ba.HiRo、Gr.YUSUKEの5人組。

2017年のKZK加入を皮切りに活動を本格化させ、日本国内でのライブのみならず台湾の大型音楽イベントにも連続して出演するなど、国内外のロックファンの注目を集め続けている。

美しく壮大な旋律を重く激しいラウドロックサウンドにのせて放つその破壊力は、現代のライブシーンにおいてもひときわ異彩を放つ存在である。


3月からは2022年初となる全国ツアー[ GET RELIEF TOUR ]が決定している。



===Other Information===

Official Site:https://chased.ryzm.jp/

Twitter:@Chased_official

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