【後編】“ここじゃないどこか”へと連れていく逃避行サウンド。一十三十一のルーツを辿る|DIGLE MAGAZINE
<目次>
▶︎ 憧れの逃避行サウンド
▶︎ 一十三十一の共犯者
DIGLE MAGAZINEとオールインワン型ファンメディア『Bitfan』が送る、“アーティスト活動”にフォーカスしたインタビュー企画。アーティスト選曲のプレイリストと共に、これまでの道のりやファンとの関係について掘り下げます。
(本記事は、DIGLE MAGAZINEに掲載された記事の転載です。)
今回はシンガーソングライター・一十三十一が登場。後編をお届けします。
■ 憧れの逃避行サウンド
ー一ーー十三十一さんはコンセプチュアルな作品が多く、情景が浮かんでくるような曲作りが印象的です。
『CITY DIVE』からの作風ですね。あのアルバムではまだ脚本を作ったりはしていなかったんですが、「東京〜横浜間の夜七時から朝の七時までのデート」をコンセプトに曲を作りました。で、『CITY DIVE』以降のビルボードレコーズ作品はずっと同じチームでヴィジュアルを作っているんですが、脚本をまず作って、映画のサントラを作るように、基本的にシーン毎の曲を割り振ってから書いています。
ーーー『CITY DIVE』は10年代以降のシティポップとして非常に高い評価を獲得したこともあり、一十三十一さんのキャリアの中で非常に重要な作品になっていると思います。あの作品にコンセプトを用意したのは、何か理由があったんですか?
5年間くらいオリジナルアルバムを作ってない時期だったんです。その間音楽活動をしていなかったわけじゃないんですけど、私生活で妊娠、結婚、出産があったり、社会的には3.11があったりと、ターニングポイントになった時期だったんですよね。私としても思考がシンプルになっていったり、いろんなものが削ぎ落とされていきました。
ーーーなるほど。
PPP(PanPacificPlaya)という横浜の不良音楽集団のメンバーのKASHIF君が大の達郎さん好きだったり、その少し前には流線形のクニモンド瀧口氏と出会ってシンパシーを感じていた時期でもありました。そういう出会いもあり、今だったら自分のルーツを、現代解釈した作品ができるんじゃないかと。いわば“役者は揃った”という状態になっていて、さらにビルボードレコーズとの出会いも重なって。つまり、あのビルボード空間で歌えるなら、満を辞してルーツ+今の仲間たちと、めっちゃアーバンしたいなと思ったわけです。
ーーー出会いが重なって、確信に変わっていったんですね。
デビューからの数作は、実験ばかりだったんですよね。“私がやりたいのは誰も見たこともない世界を作ること”みたいな、そういう意識で曲を作っていた気がします。そんなアグレッシブでアバンギャルドなことを求めていた時期だったので、まだルーツを深掘りする余裕がなかったと思うんです。
でも、少しのブランクがあっていろんなものが削ぎ落とされて、それに伴って2012年頃にちょうど良いメンバーが集まって。これなら安心してルーツを探れるな、と。それで『CITY DIVE』はクニモンド瀧口さんのプロデュースで作ったんですが、「この世界観を表現するには、まずビジュアルが大事だよね」って話になって。そこで彼が相応しい人がいるって言ってつれてきたのが弓削さんです。
ーーーなるほど。
当時、彼はYuge(ユージュ)というアパレルブランドをやっていて、今は<AOR>というレコ屋さん兼アパレルを代々木上原でやってるんですけど。その弓削さんがアートディレクションをやってくれることになり、ビジュアルコンセプトを練って、そのサントラを作るように音楽を当て込んでいく作り方を試みたのが『CITY DIVE』です。そうやって全部がガラッと変わって、その後は年に1.5枚くらいの、まるで一時のユーミンの様なハイペースで作品を作っていったのが、『CITY DIVE』から『ECSTASY』までの流れです。
ーーー結果としてあの作品で一十三十一さんの評価が確固たるものになったと思います。10年代以降のシティポップを代表する1枚に数えられることもありますが、そうした評価は狙い通りのものだったんでしょうか。
狙い通り……ですね(笑)。ただ、コンセプトを固めて作り込んではいるんですけど、元々私の中にある世界観であることも間違いないんですよね。ルーツを起点にしながら、周りの仲間たちとクラブミュージックを通過した新しい音楽を模索するっていうのが私の作りたい音楽なので。コンセプチュアルでありつつも、凄く自然な音楽でもある気がします。
ーーー踊れる音楽であるということは、ご自身の創作において何故重要なファクターになってくるんだと思いますか。
たとえば達郎さんの音楽って、言葉自体が踊っていると思うんです。そこにメロディがついたものが音楽になる、みたいな。英語に比べて日本語って踊りにするには難しいけど、それはずっと挑戦したいところでもあり、何よりそれを目指して作詞をするのが好き。お手紙のような静止した言葉の音楽も、時として必要だけど、言葉自体が踊っている音楽の方が私は聴いていても、書いていても楽しい。美奈子さんや達郎さんはそこも素敵で、そういう作詞への憧れはありますね。
ーーーダンスミュージックには忘我することや、ほんの一時だけでも日常の柵から解き放つ力があると思います。
はい、解放ってことですよね。
ーーーそれってまさに最初に言われていた“ここではないどこかへ連れていく”感覚だと思います。なので、一十三十一さんの作品には、ノスタルジーとエクスタシーの両方を感じます。
そう言っていただけるのは嬉しいですね。言われてみれば私が達郎さんに感じているのも同じ様なものかもしれないし、私自身が求めているものですね。たとえば北海道は冬には雪が降って大変なんですけど、うちにくればいつもブリージンな音楽がかかっていて、そこはまさかの西海岸で、美味しい料理が運ばれてくるよっていうそういう環境だったから。札幌の郊外にあって、みんなちょっとお洒落してやってくる逃避行空間で。自宅から離れていたこともあって、そこで流れている開放感のある音楽を含めて、“大人ってカッコ良いな”っていう憧れもあったと思います。
■ 一十三十一の共犯者
ーーー昨年リリースした『Talio』は、サントラとして制作しつつも、作家性が発揮されたオリジナルアルバムに近い作風だったと思います。
そうですね。
ーーーただ、オリジナルアルバムが前作『Ecstasy』から、4年ほど空いているのも事実です。ここ数年、ご自身のキャリアはどういうタームに入っていると言えますか?
ドラマの劇伴作りの他に、ここのところは国内外のアーティストとのコラボだったり、Negiccoのプロデュースなどがありました。この夏はDE DEくん(DÉ DÉ MOUSE)とTANUKIとのコラボで「Neon Lightの夜 feat. 一十三十一」があったり、ありがたいことにお声がけしていただくことが増えてますね。また『Talio』では、プロデューサーからシティポがテーマと聞いて、それがテレビドラマで流れるのなら、クニモンド滝口しかいないと思って声をかけました。
ーーー何か狙いがあったんですね?
シティポと言っても、今やいろいろありますよね。クラブミュージック寄りだとか、オールドスクール寄りだとか、どんどん細分化されていると思うんですけど。地上波でシティポだったら流線形で王道クラシックシティポが素敵じゃないかと。
ーーーなるほど。
あと、他のアーティストをプロディースするのは初めてだったんですが、NegiccoのシングルはPARKGOLFくんにトラックをいくつか作ってもらって、進めていきました。『Talio』もNegiccoのプロデュースも、周りの素晴らしいアーティストのお陰で良いものが生まれ、自分の作品とはまた違った客観視で作る面白さがありました。
ーーーそして今年には、初のファンサイト「toi toi toi」を立ち上げています。
活動19年目なんですけど、これまではちゃんとしたファンクラブを作ったことがなかったんですよね。そんな中、仲良くさせてもらっている行さんからお話をいただきまして。家に物販の在庫が余っていたこともあり、マーチャンダイスもできるということだったから始めてみようかなと。それも理由のひとつにはありました(笑)。
ーーー(笑)。ファンとのコミュニケーションは、どのくらい考えています?
距離感については、今でもどこまで行けばいいのかな?と思っています(笑)。でも、わざわざお金を払ってまで会員になってくださる方は、一十三十一の共犯者だと思っています。
ーーー良い表現ですね。
これまでライブに来てくださるお客さんですら“共犯者”だと思ったことはなかったので、これは新しい感覚ですね。頼もしい存在でもあり、“もはやあなたも一十三十一”ですよって感じで考えています。やってみたいけど実行に移せていなかったこともあるので、ここでいろいろ試せたらいいなと企んでます。
ーーーそして、やっぱり一十三十一さん自身の作品も楽しみです。
裏切りつつ、新しいことを考えています。
ーーーこれまでのイメージを覆すような作品を作りたいということですね。
『Ecstasy』を作って、“これはシティポップとは言われないだろう”と思ってたんです。私は“デトックス・ポップス”って言ったんですけど、全然浸透しなくて。
ーーー(笑)。
“これでもシティポって言われるんだな”と驚きで。もはや私が何をやろうが、極端な話、凄くアバンギャルドなことをやっても、“一十三十一のシティポ”って言われるのであれば、それもまた楽しみでもあります。
ーーー良いモチベーションですね。
何度も言う様に、私が目指す音楽は、“ここじゃないどこか”へ連れてってあげるような開放感のある逃避行サウンドなんです。この先どんな表現をしたとしても、私のその精神は変わらないと思います。
ーーーちなみに、目下の計画はありますか?
引っ越しをします(笑)。
ーーー良いですね(笑)。
凄く大きいことですね。環境が変わったら見えるものも変わるので、そこで自分が何を作り出すのか楽しみです。『CITY DIVE』を出したくらいに今のところに越してきたので、今の家は丸ごとビルボードサウンドが鳴っていましたね。そこから引っ越すことで、どんな音楽が生まれるかワクワクしてます。
ーーー次なる10年の名盤ができるかもしれないですね。
窓から見える景色も変わるので、(音楽が)変わらないわけがないと思いますがどうだろう! 引っ越しという大イベントをとっとと終わらせて、早く取り組みたいです。あ! それと、9月にJINTANA & EMERALDSが7年ぶりにアルバムを出します! そちらもどうぞよろしくね!
■一十三十一「BIGSUN on my mind -80’s only-」|Bitfan Crossing #08
(『DIGLE MAGAZINE』編集部 文: 黒田 隆太朗/写:井出 眞諭/編:黒田 隆太朗)