【Pick Up Owner #44】日野健太|自己満足で終わらせたくない

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2025/08/22 15:00

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2024年の音楽業界に大きな話題と波紋を呼んだ 「timelesz project」。30歳という人生の節目に挑戦を決め、自らの新たなパフォーマンスの道を見出したという唯一無二のシンガーでありパフォーマー・日野健太。愛するジャズとの出会いやこれからの音楽活動におけるビジョン、開設して約半年となるファンクラブへの想いなどをたっぷりと訊いた。

 

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■「偶然」を積み重ねて

ーーー まずは自己紹介からお願いします。

 

日野健太です。

現在はソロアーティストとして活動しております。R&Bとジャズ、ブラックミュージックをルーツに持っていますが、今は僕ならではの「ジャンルのない音楽」を目指しています。

 

ーーー 音楽を始めたきっかけを教えてください。

 

もともと学生時代にバンドを組んでいたので、音楽が楽しいものだという認識はあったんです。けど、プロになるとか、夢として本格的に目指すとまでは思っていませんでした。

 

僕は昔から歴史が好きなんですよね。服なら古着が好きだし、音楽ならルーツを調べるのが楽しくて。そうしているうちにたどり着いたのがブラックミュージック。特に好きなのはソウルというジャンルです。ソウルはその名前の通り、人生を叫ぶような曲が多いんですよ。曲がそのまま歴史と結びついている、そんなところに不思議なパワーを感じて「もっと触れてみたい」と思い、ニューヨークへ留学して、素晴らしい師匠のもとで学びを重ねました。

 

ニューヨークでは師匠がシンガーとして出演しているお店を手始めに、毎日のように色々なクラブやジャズバーに通いました。そこでは本当に素晴らしいシンガーがたくさんいて、その歌を至近距離で聞けるんですよ。

 

大きくて広い会場で遠くに小さく見えるアーティスト、という景色ももちろんすごいのですが、すぐそこの…1メートルくらい先にいるシンガーから、こちらの体を突き抜けてくるような迫力のある歌が聞こえてくる、という光景が至る所で繰り広げられている。こういうシンガーになりたいと強く思いました。

 

師匠からは「まずジャズを始めるべき」とのアドバイスを受け、帰国後には早速ジャズクラブでアルバイトをしながらシンガーとして歌う生活をスタートさせました。

 

 

ーーー 10代からソウルが好きって珍しいですよね。影響を受けたシンガーなどはいますか?

 

なかなかですよね…変なやつなんですよ(笑)

僕、音楽をジャンルごとに深掘っていくのが大好きで。歴史好きってところから繋がるんですけど、深堀りしすぎて大体のジャンルに一度はハマっていますね。その中でも特にソウルという…ブラックカルチャーの中枢というか、まさに魂に直結したジャンルは、現代を生きるアジア人である僕が聞いても心が震えました。

 

最初は文化や歴史をあまり知らないままに触れたので、歌詞の意味も一見しただけではイメージが湧きませんでした。なのに、その凄みに惹き込まれていた。詳しく調べていくうちに気づいたらのめり込んでいて。なかでも影響を受けたのはサム・クックかな。

 

ただ10代の僕はソウルと同時にボーカロイド曲にもハマっていたので、初音ミクとレイ・チャールズを一緒に聞いていました(笑)当時流行り始めていた「歌ってみた」なんかもちょっとやっていたんですよ。

 

ーーー あまり聞かない組み合わせですが(笑)

 

でも今のポップスって、結構その頃のボーカロイド曲に影響を受けていると思いません?

当時のボカロ曲を聞いて、歌ってきたからこそ現代のポップスにも馴染みがあるというか。だから影響を受けたという点では確実にボーカロイド曲も入っていますね。

 

その点で言えば、僕の母親はビヨンセやマライア・キャリーのようなR&Bが好きだったな。小さい頃に聞かされていた曲の影響もあるのかもしれないです。

 

ーーー ジャズやソウルはまだ日本では敷居が高いというか、ややとっつきにくいカルチャーに思います。それでもこのジャンルを志した理由は?

 

日本のジャズって実はかなり盛んなんですよ。素晴らしいミュージシャンがたくさんいて、レベルも高いんです。ただ音楽ジャンルとして括られるとやっぱりハードルが高く思われてしまっていますよね。シーンとしてはすごく盛り上がっているし、世界的な評価もされているんですけど…確かに、ちょっと入りにくいですよね。

 

ソウルにいたっては本当に、文化ごと深堀らないと理解できない世界です。僕にとっても、留学して実際にニューヨークのハーレムに行ったことが大きな転換点でした。当時からあった教会など、歴史の舞台として「ここがあの?」となるスポットがたくさんあるんです。実際に触れることで、僕にとってソウルの世界が急にリアルなものに感じられました。

 

この道を選んだのは本当に、偶然が積み重なった結果です。

全ての音楽に歴史はあるので、もしあの時イギリスに行ってロックやパンクにのめり込んでいたら今頃全く違うジャンルの音楽をしていたかもしれない。たまたま気になったジャンルで、素晴らしい師匠に出会い、文化に触れ、ジャズという道を勧められた。今考えたら偶然の連続です。でも、選んできた道は間違っていないと思っています。

 

 

 

■30歳は挑戦の日々

ーーー 「timelesz project」についてもお伺いします。なぜそれまでのキャリアと180度変わるような世界にチャレンジしてみようと思われたのですか。

 

基本的に現実主義者なので、将来をどう進むのかをめちゃくちゃよく考えてから動くタイプなんです。けど、同時に柔軟さも失いたくはない。しっかりと未来を見据えたプランを立てつつも、その時に偶然出会った人や機会と何か新しいものが生まれるのなら、恐れずにチャレンジしたくて。そのために、どの可能性に対しても常に「この先もしこうなったら、こうしよう」を等しく考えるようにしています。

 

オーディションに挑戦を決めた年は20代最後の年だったのもあり、このまま変わらずジャズやR&Bのライブや、配信で歌い続けていくのも楽しいし、これで生きていけるという確信もあった反面、「本当にこのままでいいのか」という迷いも抱えていました。

 

僕は20歳でニューヨーク留学、25歳でワンマンライブや海外ツアー、と節目節目に自分の人生を見つめ直すようにしているので、確かに30歳の節目ではあったのですが…さすがに違いすぎますよね(笑)当初は想像がつかないどころではなかったです。

 

けど、自分のこれまでを振り返ると、今は大好きなジャズやソウルだって最初はたまたま触れただけ。歴史が好きというベースから偶然その音楽に出会って、結果的にここまで好きになった。だから、ジャンルへのこだわりがまずあったわけではないんですよね。

 

反面、この29年間生きてきた中で、「歌で表現する」ということへのこだわりは生まれていました。R&B、ジャズ、ソウル、バンド…すべての経験値を活かせる場として、歌でなら、このtimeleszというグループに貢献できるのではないかと考えました。

 

もちろん求められている人材像かはわかっていませんでしたから、もしそういうニーズがあるのなら面白いんじゃないか、という気持ちで挑戦を決めました。

 

 

ーー 歌い方や、表現も全く違う世界ですよね。ダンスもありますし。

 

そうなんです。それでもあえて二次審査の歌唱パフォーマンスのときはアイドル風に寄せず、僕のありのままのスタイルを出しました。もちろんボカロもポップスも歌っていたし、バンドもやっていたので、寄せたパフォーマンスをすることも可能ではあったんです。でも、僕がプロとして歌ってきたものはジャズであり、R&B。だからそのスタンスを貫きました。

 

ーーー ファンの方も戸惑われてはいませんか。

 

それはありますね。

最近ファンになってくれた方はタイプロを見て、という方が多いですが、昔からのファンの方は、ライブ活動やTikTokだったりもして。なので僕へのスタンスというか、コメントの送り方ひとつをとってもみなさん違うので、昔から応援していただいている方たちはその勢いにちょっと押されがちというか。

 

次に出すグッズを考えるのにも、「トレカやアクスタがもっとほしい」という要望もあれば、「ランダムグッズよりもCDがほしい」との声も多くて…本当に悩みます。悩みすぎて、最終的には僕が出したいものを出します!ってなっちゃうんですけど(笑)

 

ライブも内容や開催場所、どれをとってもそれぞれの要望や期待が違うと思うんです。だから全てに応えようとすると難しい。うまく混ざり合える着地点を探している真っ最中です。

 

ーーー 先ほど節目を大事にしているというお話がありましたが、30歳は本当に激動ですね。

 

オーディションもあったし、これまでからしたら想像できないくらいの変化があった一年ですよね。新しい環境に必死に調子を合わせている感じ。でも、この節目だからこそたくさんの出会いもありましたし、挑戦したいことも生まれました。今までだったら絶対断っていただろうことも含めて、もしそこに踏み出したらその先にいる自分がどうなっていくのか、日々シミュレーションしまくっています。そうでなくてももう、今は毎日が挑戦みたいなもの!全部が挑戦の日々ですね。

 

 

 

 

■感情のきっかけを受け取ってほしい

ーーー 日野さんがここまで音楽活動を続けてきたモチベーション、原動力というのは何でしょうか?

 

もう、「やりたいことをやっている」だけです。歌いたかったから歌っている。

 

とはいえ、自己満足で終わらせたくなくなったんですよ。

最初はカラオケで「うまいね」って言われて嬉しかった、というだけのところからバンドを始めて人前で歌う楽しさを知って、次は「師匠みたいなかっこいいシンガーになりたい」とただただ自分のために頑張っていたんです。

 

でもある日、お客さんから「嫌なことがあってすごく落ち込んでたけど、あなたの歌を聴いて心がすっとした」と言われた瞬間にもう、今まで味わったことのない喜びを感じて。なんだろうこの気持ち!ってくらいに心から嬉しくて。初めて「人のために歌おう」と思えたんです。

 

僕が自己満足のためにやっていたことでも、ある日誰かの心を動かせたんですよ。ちょっと偽善っぽいかもしれないんですけど、それがシンプルにとても嬉しかった。だから「この歌をもっと色々な人に届けたい、聴いてほしい」そう思うようになった。自分だけの楽しみのために歌うのではなく、歌で人の心を動かす生き方をしたいと考えるようになりました。感動を与えるのでも、人生の一歩の助けになるのでも、単に迫力がすごくて聞けてよかった、だけでもよくて。大袈裟だけどそのためにこの声を持って生まれてきたんじゃないか、それぐらい思っています。

 

あと、僕、音楽以外のことって本当に何も続かないんですよ…色々なことに手を出しては、なんとなくできちゃって、すぐ飽きる、みたいな。でも音楽だけは続いていて、僕が思ってもいない評価をたくさんいただけるようになった。評価されるというのは嬉しい反面、人からの見え方を気にしてしまうことにもなるんですが、自分で自分を評価することでもどんどん成長できています。褒められたら伸びるタイプなんです!(笑)

 

ーーー 今後の目標、未来のビジョンを教えてください。

 

素敵な歌を聞いた、泣ける映画を見た、おいしいものを食べた、そういう時の心の動き。「感情のきっかけ」って僕は呼んでいるんですけど、それを僕の歌やパフォーマンスで届けたいです。「泣ける」とか「笑える」とか、なんでもよくて。僕がぶつけたもので、感情が動いたり、新しい感覚が生まれたり、そんな何かのきっかけをお土産として受け取ってもらいたい。その機会をどんどん増やしたいですよね。

 

いつかは海外にも行きたいですが、「この会場に立ちたい」みたいな明確なこだわりはあえて設けていません。そうしてしまうと「次はここ」「次はここ」と決まってしまうというか、「武道館の次はアリーナで、さらにドームで」ってなっちゃいますよね。僕はその時の僕にあった場所で歌いたい。数や規模にこだわるのも大事ですが、まずはお客さんの心に歌を届けていきたいです。

 

 

 

■ファンの存在を確かめたかった

ーーー 2025年3月からファンクラブを開設されました。なぜファンクラブを作ろうと考えられたのですか。

 

タイプロのおかげで「ああ、あの歌にちょっと癖のあるやつね」と僕を知ってくれる方が一気に増えて、SNSのフォロワー数やコメント数もかなり伸びました。それは明確な数字として目に見えて表れているわけですけど、純粋に嬉しい反面、「あくまで今だけの一過性かもしれない」と少し引いた見方をしている自分もいて。

 

伝え方が難しいんですが、「この中で本当に僕を気にかけてくれている人はどのぐらいいるのか」を知りたくなったんですよね。今の僕に注目している、というよりも、僕の今後の活動に興味を持ってくれている、応援しようとしてくれている人の姿をしっかりと捉えて、存在を実感したかったんです。急激なフォロワー数の増加や発信力が強まったことによりホームのような場所を作りたかったんだと思います。

 

ーーー 有料ファンクラブの他にもTikTokやInstagramを始め、オープンなSNSも多数利用されています。投稿内容の出し分けなどは気にされていますか。

 

とにかく「ファンの存在を確かめたい」という勢いで始めたので、最初から明確な使い分けを意識して走り出したわけではないんです。

 

でもやっぱりファンクラブに入ってくれた方には「入ってよかった」と思ってもらえるだけのものをお返ししたくなるじゃないですか?「ファンクラブに入っているからこそ」という実感を伴わないと。僕がファンの側だったとしたら、同じものが無料で見られたらちょっと嫌ですからね。そこは気をつけてやっていこうと。

 

なので、今はオープンに見られるSNSではアーティスト・日野健太としての面をしっかり出していくようにしました。オーディションで注目こそしていただいたもののまだまだ「こいつは何者だ?」という空気はあると思うので、あの経験を活かしつつも、ビジュアルやコンセプトにもこだわった、自分の考えるアーティスト像を打ち出していく場にしています。

 

その分、オフショットも含めたラフな一人の人間としての気楽な姿をファンクラブで出していくようになりました。

 

 

ーーー 今後、ファンクラブ限定でやってみたいことを教えてください。

 

ファンミーティングももちろんやりたいんですが、限定ライブがやりたいですね!

もう気になっている会場もあるんですよ。おしゃれなソファーとかが置いてあって、ライブもできるけど、クラブっぽいハードルの高さはないところです。あえてよくあるライブハウスではないところで、あまり他ではやらないような…例えばアコースティック編成だったり、カバー曲のリクエストライブだったり。そんな計画をしています!

 

ーーー ちなみに、普段のライブとファンクラブ会員だけのイベントって、やっぱり違いますか?

 

違いますね。

僕の新たな活動が始まったばかりなこともあり、普段のライブはお客さんたちが緊張しているのがステージにも伝わってくるんです。さっきも言った通り、アイドル文化が好きな方もいれば、昔からジャズやクラブに通ってくれている方もいるので、ノリが全然違うんですよね。まだお互いにどう楽しんだらいいのか、ドキドキしている感じ。

 

ライブハウスに来るのも初めてで、やけに緊張してひたすらお酒を飲んじゃってたりね(笑)僕をタイプロきっかけに知ってくれた方からしたら、番組の中にいた人がすごく近くでR&Bを歌っているわけですよ。しかも周りには慣れた感じのファンの方が盛り上がっていたりして。

 

そっちのお客さんからしても今まで通りでいいのか実は戸惑っている部分もあったりして、結果的にどこかみんな上品に、緊張した感じになるんですよ。だから僕もついよそ行きになるというか。

この感覚も僕は楽しいんですけどね。

 

それがファンクラブイベントになると、一気にくだけた雰囲気になりますね!盛り上がり方も全然違うし。

 

でも、今の僕は完全にジャズ一本というよりはポップスも取り入れた、自分だからこそできる音楽をより多くの人に広く届けていきたいので、もっと普段のライブもフランクに聞いてほしいですね。色々なライブハウスでもやりたいし…だから、まずはジャズクラブでも普段着で来ていいんだよ、気楽に楽しんでいいんだよ、ってことを伝えていかないとですね(笑)

 

 

 

 

■たくさんの愛情を

ーーー 日野さんにとって、応援してくれるファンのみなさまとはどのような存在でしょうか?

 

こういう活動をしていると、やっぱり不安になることもあって。

その時に安心できる場所がある、そういう場があるということで僕の活動の大きな拠り所となっています。

 

僕はやりたいようにやりつつも、ファンの方が「自分が好きなアーティストはこんなかっこいいことをやっているんだ!」って周りに自慢できるような人間でいたいんです。「何やってんだ、あいつ」とは思われたくない。

 

今の僕はファンの方と一緒に「僕だけのアーティスト像」を作り上げている時期です。僕にとって音楽活動は自己満足で終われるようなただの趣味ではないので、ファンの方がいて初めて成立します。

 

だからこそ、ファンクラブという一番近くにいる方たちには100%認めてもらいたい、愛情を注いでもらいたい。僕もみなさんにたくさんの愛情を注ぐつもりです。

 

ファンの方って、本当に特殊なつながりですよね。

僕はみなさんに向かって歌を作っているけど、そのみなさんに僕を作ってもらっているとも言える。絶大な信頼を置いていますよ。ここは僕の味方しかいない、心を許せる場です。

 

ーーー では最後に、ファンのみなさまに向けてメッセージをお願いします!

 

…あざす(照)

 

ーーー これ動画じゃないんです…!

 

「(照)」よくないですか?(笑)

 

…改めて、本当にいつもありがとうございます!

僕をいつ、どこで好きになってくれたのか、きっかけやタイミングはみなさん本当に色々だと思います。でもみなさんが僕を知って、好きになってくれたこと、どこが好きかを必死で伝えてくれること、その愛情が本当に僕はめちゃくちゃ嬉しいです。

 

皆様の大事な人生に僕は全力でぶつかっていきますので、今後もそれぞれの人生の中で、人生に支障が出ない程度に(笑)僕を推していてくれたらなと思っています、せっかく出会って今ファンクラブに入ってくれているみんなと、長く楽しんでいきたいのでね。

これからも振り回すだろうけどよろしく…手離すんじゃあねぇぞ?(笑)

 

 

 

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■Profile/日野健太

シンガーからパフォーマーへ
進化し続ける表現者

愛媛県出身のアーティスト。
アメリカ・NYのハーレムでクラシックソウルを中心としたブラックミュージックを学び、グラミー賞受賞シンガーB.Brvon氏に師事。ソウル、R&Bをベースに、パワフルで圧倒的な表現力と唯一無二の歌声を武器に持つ。

2021年よりユニットEmmanonとして、またソロアーティストとしても活動を開始。Jazz R&Bを軸に、ピアニスト・ナンブユウキ、ドラマー/DJ・平尾一馬と共に独自の音楽スタイルを追求し、都内を中心にライブパフォーマンスを展開。

2024年、「timelesz project -AUDITION-」に参加。
約19,000人の応募者の中から一般公募15名に残り、四次審査まで進出。
自身が確立してきたソウルやR&Bとは異なる「アイドル」という未知の領域へ挑み、“唯一無二の歌声”として注目を集める。
この挑戦が、新たな進化への大きな転機となった——。

2025年3月9日、新曲MV『Rise』を発表。
本作では、完全自己プロデュースのもと、シンガーからパフォーマーへと進化。
“歌”だけでなく"身体全体で音楽を表現する”という新たな境地に踏み込む。
アーティストとしての表現力に加え、“ダンス”という新たなスタイルを取り入れた本作は、まさに覚醒の瞬間を映し出す。
『Rise』のMVでは、Jazz R&Bシンガーとしての姿を超え、新たなステージへの決意を表現。

「歌うだけじゃ、伝えきれないものがある。」
その言葉通り、音楽とパフォーマンスが融合する、自身の新たな世界を切り開く。

 

 

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