【後編】金廣真悟がコロナ禍で迎えた新たなスタートと挑戦|DIGLE MAGAZINE

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2021/08/06 18:00

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DIGLE MAGAZINEとオールインワン型ファンメディア『Bitfan』が送る、“アーティスト活動”にフォーカスしたインタビュー企画。アーティスト選曲のプレイリストと共に、これまでの道のりやファンとの関係について掘り下げます。

(本記事は、DIGLE MAGAZINEに掲載された記事の転載です。)


今回は金廣真悟が登場。後編をお届けします。





■ 「生産者」でいたい


-Asuralber IIの1stシングルのタイトル『In principio erat Verbum』は、約すと「初めに言葉ありき」となるようですが、このタイトルにしたきっかけは?



タイトルを「In principio erat Verbum(初めに言葉ありき)」にしたのは、最初にぺギが誘ってくれたから、Asuralbert IIが始まったっていうシンプルな理由です。ペギの言葉がなければ、僕はバンドだけじゃなくてソロもやっていなかったと思うんですよ。農家でもしようかなと思っていたので。


それに、「In principio erat Verbum(初めに言葉ありき)」って、どんどんと遡って原文化していくと、「言葉」の部分が、より大きな意味を持つようになるんです。「言葉に付随するもの」、あるいは、「言葉よりも前にあるもの」……そういう意味をはらんでいく。それが面白くて。


-ペギさんから誘われたとき、すぐに「バンドをやろう」と思えましたか?


そもそも、誘われるとも思っていなかったんです。なので、どういうバンドをやるかにもよったんですけど、「3ピース」ならいいかもねと思って。4人でやるとしたら、もうひとりはキーボードとか、DJとかじゃないと。とにかく、グドモと同じことはやりたくないし、見え方が同じになってもイヤだし、グドモはグドモとして置いておきたかったので。


-あと、「農家でもしようかと思っていた」という部分も、詳しく伺いたいですが……。


まぁ、元々農家が好きなので(笑)。グドモのときも米を作ったりしていたし、最近も、「ビールを麦から作りたいよね」っていう話をしていて。グドモで米を作ったのも、そもそもは日本酒を作ろうとしていたんですよ。でも、熊本の地震で倉が半壊しちゃったから、じゃあ、「美味しい米を作ろう」っていうことになったんですけど、あれも大変だけど、面白くて。


そういうのが好きなんです、ゼロから何かを作って、ひとつの商品にするのが。それで美味しいものができたら嬉しいし、「次はこうしてみよう」って考えるのも楽しいし。米作りなんて、すごくロングスパンな創作活動ですけど(笑)。


-そうですよね(笑)。


そういうことが好きだから、グドモが休止に入ったあとは、広島のおじいちゃんちの山で、農家をやるのもありかなって思っていたんです。それで、1年間くらい伝統工芸を習いに行って、窯を作ってみようとか、狩猟をやってみたい、とか。元々そういうのに憧れる性格だし、音楽から少し離れて生活をしてみるのもありかなって思っていたんです。で、歌いたくなれば、広島のライブハウスにお願いしに行けばいいかなって。


-音楽に限らず、「なにかを作る」ということ、それで生活していくことに、金廣さんは好奇心をそそられるのでしょうか。


楽しいですからね。料理を作るのも好きなんです。もちろん、外で買うものも美味しいですけど、最近はもう、作れるものは自分で作っちゃおうかなと思って。パンチェッタも作るし、パンも作るし、ピザも作るし、冷麺も麺から作りますよ。作ることは楽しいし、味わうことも楽しいし、それが活力になって、次に進んでいくことができる。その循環がいいなと思うんです。


たぶん、僕は「生産者」でいたいんでしょうね。生産者であることの喜びが、自分にとってはすごく大事なんだと思う。生産して、消費して、また生産して――その循環のなかにいるのが好きなんだと思います。


-音楽にも、そうした循環は感じられますか? 例えば、お客さんとの関係性においてとか。


返ってくる面白さはありますよ。ヤマビコみたいなもの、というか(笑)。自分が歌うこと、自分が考えていることに対して、ヤマビコのように違う人の声が返ってくる。それは、楽しいです。そこに、また自分から返すことによって、どんどん、いいバトンの受け渡しができていくんだと思うし。




■ コロナ禍とリスタートで見えたもの


-Asuralbert IIの初ライブは無観客配信ライブになったんですよね。そして、収益はツアーで回る予定だったライブハウスに寄付すると。


はした金ですけどね。それでも、僕はライブが好きだし、ライブバンドとして育ってきたし。それに、人の前でステージに立ってスポットライトに当てることで、喜びを感じる人間なんだっていうのも、今、改めて感じるし。


……でも、今はなかなか利益は出ないですね、赤字ばっかり。この状況だと、黒字になるような活動はそうそうできない。正直、グドモを活動休止したら、すぐにコロナが流行り始めて今のような状況になっちゃったので、まだ活動休止期間が始まってもいない感じもするんですよ。今の期間がなんなのかも、よくわからない(笑)。


-特にリスタートのタイミングだっただけに、金廣さんにとってコロナの影響は大きくなってしまいますよね……。


まぁ、新しいことをトライするいいチャンスではあるんだけど、今の自分にとっては、新しいことをトライしたうえで、また新しいことにトライしなくちゃいけない、みたいな状況なんです。


今まで右手でやってきたことを、「左手でやってね」と言われているような感覚というか……もはや、「両手使っちゃダメだよ」と言われているような感じ。


難しいですよね、答えが出ているわけでもないし、でも、静観を決め込むわけにもいかないし。さっきも言ったように、とにかく、なにかできることを探していかないと、人間として落ちていくだけだから。今、ある程度はもがいています。


最近、ようやく外には出ることができるようになってきたから、週1くらいで高尾山に行って、八王子の人たちと面白いことをやろうと話し合っていたりしていて。これから映像作品とか、音源とか、リリースできればと思っているんですけど。


-今日、お名刺をいただきましたけど、今は事務所やレーベルなどには所属せずに活動されているんですよね?


そうです。そもそも、グドモが活動休止したら1年間、フリーで頑張ってみようっていう感じだったんです。1年間頑張ってみてダメだと思ったら、そのダメな部分だけを他にお願いするのか、あるいは今までと同じように事務所に所属するのか考えようと思っていたんですけど、現状、このコロナの影響でなにもできていないので、そこも答えは出ないままというか。それもやっぱり、想定外(笑)。


でも、例えば仲のいいライブハウスやお世話になった人に、「急きょ、明日来てほしい」と言われたときに、すぐに行けるのはいいですよね。自分が歌いに行くことで少しでも助けになるのなら、今までの恩を返すいいタイミングだと思う。そのためのフットワークの軽さを考えると、今、フリーになったことはよかったとも思います。




-ソロやバンドの発信として、ファンクラブでドキュメンタリー映像の公開やブログ更新などされてますが、手応えはいかがですか?


僕はブログを書くのが苦手なんですよ……。言葉にすると、歌詞が消えていってしまう感じがして。若い頃はそれが溢れてくるからいいけど、今はもう、言葉にすると「答えを出してしまった」という気がしてしまって。安易に言葉にしてしまうと、そこに逃げてしまいそうになるし、それが本当になってしまう気もするし……。


-なるほど。


ネットが普及するに当たって、「答え」がスーパー簡単に手に入るようになってしまったじゃないですか。何かを探したり、追求することに対しての情熱が薄れてしまっている状況だと思う。今は、そういう「答え」があるのが当たり前だからこそ、「答え」がないことの方が面白いと思うし、答えがないからこそ頑張れたり、惹かれたりするはずだって僕は思うし。それでも、もちろん、この時代だからこそ、自分から発信して行くことの必要性もあるし……その塩梅を探るのが難しいです。いいバランスを探しながら、今はブログを書いています。


でも、このコロナの最中に自分が発信する場所があってよかったなと思いました。すごく助かった。同じくらい、もっと上手く、こういうツールが使うことができる人間だったらよかったな、とも思っていますけど(笑)。


-(笑)。でも、SNSの活用などは難しい部分ですよね。本当に、向き不向きがあるというか。


Twitterも苦手なんですよ。フォロワーを増やしていく、みたいなことが苦手。音楽を鳴らして「どうだ! いいだろー!」とはできるんだけど、ご飯を食べる前に写真を撮って、それをアップして「どうだ! いいだろー!」みたいなことは、得意ではない(笑)。昔よりは、意識してできるようにはなってきましたけどね……頑張っているので(笑)。


-これだけキャリアも重ねられていると、金廣さんの「変化」を追い続けている人たちもいますよね、きっと。そういったファンとの関係はどう感じていますか?


初めて出会った頃は高校生だった人たちが、いつの間にかいい年齢になっているようなキャリアになっているんですよね。そうやって付いてきてくれる人たちは、こっちから見ても面白いです(笑)。しばらくライブに来ることができなかったけど、子供が大きくなってまた来てくれるようなった、みたいなこともあるし。その関係性は、こっちも見ていて面白いし、向こうも僕を見ていて面白がってくれていればいいし。変化は必要ですよね、やっぱり。


-今日は、金廣さんの変化していく生産者としてのバイタリティを強く感じました。


ぼーっと紙飛行機だけ作って生きていけたら、それがいいですけど(笑)、そんなことは無理なので。でも、このコロナ禍の生活もそうですけど、新しいものを作ろうとして、結果を見て反省して、またリトライしていく……その「過程」も楽しもうと思えば楽しめるわけで。そういうことが、自分には向いているなと思います。


逆に、情報を上手く操作したり、社会の成り立ちを観察したり考察して答えだしていく、みたいなことは苦手だなと改めて思う。やっぱり、向き合うのは人であり、生き物なので。それなら、曲を作ったり、モノを作ったりすることに面白みを見出していたいですよね。




(『DIGLE MAGAZINE』編集部 文:天野史彬/写:後藤倫人/編:久野麻衣)


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