【前編】THE CHARM PARKが綴る祈りと夢。飾らない歌の背景に迫る|DIGLE MAGAZINE
DIGLE MAGAZINEとオールインワン型ファンメディア『Bitfan』が送る、“アーティスト活動”にフォーカスしたインタビュー企画。アーティスト選曲のプレイリストと共に、これまでの道のりやファンとの関係について掘り下げます。
(本記事は、DIGLE MAGAZINEに掲載された記事の転載です。)
今回はTHE CHARM PARKが登場。前編をお届けします。
THE CHARM PARKの歌を聴いて優しい気持ちになれるのは、その音楽の中に彼の飾らない素顔を見ることができるからである。彼は自身の音楽を「人間らしい音」と表現したが、まさに彼の作る歌には、THE CHARM PARK自身の素朴な祈りが込められているように思う。
今回の取材では、コロナ禍以降積極的に配信ライブを行ってきた彼に、「印象的だったライブ配信でのセットリスト」というテーマでプレイリストを作ってもらった。セレクトされた楽曲に触れながら、少しばかりキャリアを振り返るように彼の心境に迫ったインタビューである。プレイリストにはふたつのカバー曲と、Hemenway時代の楽曲「祈り」を含んだ10曲がセレクトされている。様々な音楽性を奏でてきた彼のディスコグラフィの中でも、包み込むようなあたたかさを感じる楽曲達である。中でもCharmが東日本大震災を目の当たりにしたことで作られた「祈り」は、パンデミックに見舞われた今、再び歌われる意義のある曲だろう。
最後に「これから作りたい音楽は何か?」と聞いたところ、「バックグランドミュージックに関心がある」という答えが返ってきた。それは聴く人の生活にさりげなく寄り添う音楽であり、きっとTHE CHARM PARKの真髄である。彼の創作の在り方について話を聞いた。
■ 偶然か、運命か
ー今回はキャリアを辿りながらプレイリストについてもお話しを聞けたらと思います。
よろしくお願いいたします。
ーCharmさんが音楽の道を志したきっかけはなんですか?
音楽で暮らしていこうと思ったのは高3ぐらいの頃でした。うちの兄貴は今でも趣味で音楽をやってるんですけど、当時は凄く親から反対されてたんですね。だから末っ子の僕は音楽をやっちゃいけないんだと思っていたところがあったんですが、自分が高校を卒業する頃、10年後20年後にどういう仕事をやっていたら幸せを感じるだろうと考えた時、答えは音楽しかなかったんです。それで経済的に安定できるかどうかは別として、そうやって生きていけたら幸せかもって思った瞬間があったので、とりあえず若いうちに頑張ってみようと思い音大に行きました。
ーその時は既に日本の音楽を好きになっていたんですよね?
一番最初に衝撃を受けたのが X JAPAN でした。それは小5くらいですかね。兄貴が聴かせてくれたんですけど、ハモってるギターソロを兄貴とふたりで演奏できる魅力があって、それで僕もギターも始めたんですよね。一番最初に聴いたのが『LIVE LIVE LIVE』っていうライブアルバムで、「WEEK END」っていう曲がメロディックで好きです。hideさんの音楽は今でもカッコいいと思います。
ーそれでギターキッズになったと。
大学に入るまでは本当にギターキッズで、モテないような発想だと思うんですけど、テクニックがなかったら音楽じゃないって思ってました(笑)。曲を聴いててもギターソロがカッコよかったら、そこまでとばしてギターソロだけを聴くくらいの悪い趣味がありましたね(笑)。
ーアジカンや大橋トリオに惹かれていったのは大学に入ってから?
バークリー大に行ってから音楽の幅が広くなった気がします。心に響くような音楽を聴くようになって、歌詞の意味が分からなくとも感情的に刺さったのが ASIAN KUNG-FU GENERATION さんでした。当時 BUMP OF CHICKEN やくるりも好きでしたし、その後に 大橋トリオ さんにハマって、色々なジャンルの音楽が好きになりました。そうした音楽を聴きながらデモを作っていたので、日本の音楽の影響が出たんじゃないかなって思います。
ーなるほど。
大学のルームメイトが全員日本人だったのもありますね。最初のルームメイトはカリフォルニア出身の日本人で、一年ぐらい二人で暮らしてそれからもっと広いところに移って四人で暮らしたりして。それまでも日本の文化、アニメや音楽やゲームが好きだったので、バークリーで出会った日本人の友達ともいろんな話が共有できて。そこで日本語も凄く勉強になったと思います。ただ、日本に家族がいるわけでもないし、その時はまだ日本で音楽をやることになるとは思ってなかったですね。
ーアメリカからデモを送ったんですよね?
そうですね。バークリーを卒業した後実家に戻ってデモ制作をやっていて。色々な国に送っていたら、日本の方から返事が来て今に至るというか。日本で活動することになったのは偶然と言ったら偶然ですけど、運命と言ったら運命かな、という感じですね。
■ アコギと声だけで成立する曲
ー「印象的だったライブ配信でのセットリスト」というテーマでセレクトしていただきました。一曲目は現在リリースされている楽曲の中で一番新しい「ad meliora」ですね。
『フルーツバスケット』っていうアニメのエンディング曲になった曲ですが、唯一人前で披露できてない曲なんですよね。その分配信ライブでは毎回演奏していて、“思い出深い曲”というか、これから“時間が過ぎても思い出に残りそうな曲”を選んだイメージです。
ーコロナ禍以降は配信ライブも積極的に行われていますね。
モチベーションは色々ありますが、一つは自分が下手にならないようにっていうのがあります(笑)。
ーなるほど(笑)。
あと、ファンクラブを立ち上げたのが2月で、元々そのライブを4月から5月に色んな地域でやる予定だったので、キャンセルになった日に配信ライブをしようっていう企画は決めていました。なのでちょっと挽回するような気持ちもありました。ファンの方はライブに来たいだろうし、僕もライブをしたいので、ちょっとでも満足してもらえるようなことができたらいいなと思いながらやっています。
ーTHE 1975とKIRINJIの曲はカバーされていた楽曲ですね。
どちらもここ最近カバーして弾いた曲ですね。 The 1975 の「Me & You Together Song」は、たぶん2020年の上半期に一番聴いた曲で。アルバムの完成度は前回のほうが高いように思いますが、この曲が凄い良いんですよね。配信ライブでは自分の曲はほとんど演奏できていたので、何か面白いことをやろうと思ってカバーしてみました。
ー90年代のギターポップを思わせる爽やかな楽曲ですよね。
僕が惹かれた理由もまさにそれですね。自分の中学生とか高校生時代を思い出すような雰囲気があって、その頃の青春映画のOSTに入っていてもおかしくないような感じが好きですね。でも、ちゃんと今っぽい感じもあって、良いバランスが取れている曲だと思います。この前は全然練習できないままカバーしたので、またリベンジしてみたいですね。
ー「エイリアンズ」のほうはどんな思い入れがある曲ですか?
2015、6年ですかね。実はあるCM会社のコンピアルバムで、 キリンジ のこの曲をカバーしてくださいっていう依頼があって、それをきっかけに知った曲なんです。その配信サイトには自分のバージョンがあって、それをきっかけに僕を好きになってくれたお客さんもいたみたいなので、久しぶりに弾いてみようと思って演奏しました。凄い良い曲だし、理論的に考えてもコード進行が面白くて、歌詞の乗せ方も良いので色々勉強になった曲です。
ー一方ご自身の楽曲は、「ad meliora」を除くと比較的古いものが多い印象です。
昔の曲のほうが多い理由は、当時の楽曲のほうが音数が少なかったからですね。どうしてもひとりで再現することを思うと、昔の曲のほうが自然と歌えるところがあって。アレンジ的な理由で古い楽曲のセレクトが多くなりました。
ーなるほど。ただ、一方で「ディスク」は当時の楽曲の中では少し派手な趣がある曲ですよね。
そうですね。そういう曲を初めて出したのが「ディスク」でした。なので当時リリースするかどうか迷っていところもあったんですよ。でも、これがあって今の派手なTHE CHARM PARKになっている気もします。
ーなるほど。
配信ライブでは、「ディスク」は弾き語りにルーパーを足して演奏していて。そこで再発見できたことも多くて、僕としても凄く楽しかったのでプレイリストに入れました。良い曲っていうのは、アコギと声だけで成立するものなんだと、それを演奏しながら実感しましたね。これから作る曲も、そういうものがいいんだろうなって思いました。
(『DIGLE MAGAZINE』編集部 文:黒田隆太朗/写:遥南碧/編:久野麻衣)
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