【後編】長く愛される作品を。TWEEDEESが語る音楽との向き合い方|DIGLE MAGAZINE
DIGLE MAGAZINEとオールインワン型ファンメディア『Bitfan』が送る、“アーティスト活動”にフォーカスしたインタビュー企画。アーティスト選曲のプレイリストと共に、これまでの道のりやファンとの関係について掘り下げます。
(本記事は、DIGLE MAGAZINEに掲載された記事の転載です。)
今回はシンガー清浦夏実と沖井礼二(ex-Cymbals)によるバンド、TWEEDEESが登場。後編をお届けします。
■ 「清浦夏実なんか、いなくなればいい」
-清浦さんにとって、バンドであることの魅力は、どこにありますか?
清浦:
作品を作るときに、生き物のように変化していくこと。あと、作品の熱量というか……魔法? 魔法がかかるような瞬間があります。それは、TWEEDEESをやっているときもそうですし、自分が好きなバンドを聴いているときにも感じます。仕事じゃないからこそ生まれる輝き、というか。それは、その瞬間にしか生まれないような気もするし、出したいと思って出るものではなくて、勝手に出ちゃうものだと思うんですけど。面白いなと思います、バンドマジックってあるんだなって思う。
沖井:
バンドの意志は、僕らの意志じゃないですからね。
清浦:
そうなんですよ。
沖井:
「こういう曲を作りたい」と思っても、「今、これはTWEEDEESが求めているものではないな」となったりするし、それが何年かすると、「あのときの曲、今のTWEEDEESが欲しがっているよね」となったりする。TWEEDEESという、「彼」か「彼女」かわからない、僕らの意志ではない何かがあって、それを育てていくのが僕らメンバーの仕事なんです。それが、バンドの一番の醍醐味だと僕は思いますね。若干、オカルトっぽい話になっちゃっていますけど、バンドマンの皆さんならわかってくれると思います。
-先ほど、清浦さんのソロ時代のお話が出ましたが、ソロ時代に培ったことで、TWEEDEES以降の活動に活きていると思うことはありますか?
清浦:
私は、沖井さんみたいにすごく音楽が好きだったわけではなく、そういう感覚を抱く前から、音楽は仕事現場で「与えられるもの」だったんですけど、そこにいたのが 菅野よう子 さんや 坂本真綾 さんだったことは、すごく幸福なことだったと思います。楽曲提供していただけてよかったと思うし、仕事で出会ったといいつつ、彼女たちの音楽はずっと身近にあって、何度も繰り返し聴いていて。これからもずっと好きだと思う。そう思うと、10代の頃は「好きなること」と「仕事」が同時進行で進んでいたんですよね。「好き」と「やりたい」が一緒に育てられたというか。
―今回、プレイリストには坂本真綾さんの「木登りと赤いスカート」が選ばれていますね。
清浦:
これはもう本当に名曲です。日本語詞なんだけど、外国の物語のように聴こえるんですよね。「どこかに、こんなストーリーのようなことが起こりうるんじゃないか」って思わせるような……没入して聴けるような曲だと思います。
沖井:
この曲は菅野よう子さんが作曲で 岩里裕穂 さんが作詞ですけど、こういうふうに1曲のなかでストーリーテリングするやり方は、 ポール・マッカートニー っぽいなとも思う。最近のJ-POPの歌詞にはほとんどなくなってしまったスタイルですよね。最近のJ-POPの歌詞は大体が日記みたいなものになっているから。でも、この人(清浦)が書く歌詞は、実はストーリーテリング的なものが多いんですよ。そういう作家としての遺伝子を、坂本真綾というフィルターを通して植え付けてくれたのが、この「木登りと赤いスカート」だったりするんじゃないかな。当時、フライングドッグにいて菅野さんや坂本真綾さんに触れることで、1曲のなかに物語を見るようなストーリーテリングを体感してきた。それが、今の清浦夏実の作詞スタイルに影響を与えているんじゃないか、と。
-「ストーリーテリング」や「没入観」といったお話にも繋がると思うのですが、今回のプレイリストでは、おふたりがそれぞれ1曲ずつ、映画音楽を選んでいます。沖井さんはジーン・ケリーの「雨に唄えば」、清浦さんは、今年亡くなったエンニオ・モリコーネの「成長2」。これは、『ニュー・シネマ・パラダイス』の曲ですね。
沖井:
「映画を観るような感覚の音楽を作りたい」というのは、TWEEDEESを組むときにお互いに話したことではありました。なので、TWEEDEESというものを表すときに、映画音楽は外せないんですよね。僕はその代表として、「雨に唄えば」を選びました。
清浦:
今回選んだ一生好きであろう作家の中でも、「一番好きだ」といっても過言ではない作家が、モリコーネなんです。この曲を選んだのは、映画も大好きなんですけど、物語に寄り添う音楽を作り続けたモリコーネの姿勢も大好きだなと思ったからですね。私自身、「清浦夏実なんか、いなくなればいい」と思っているんですよ。TWEEDEESで歌ったりライブをしているときも、私ではなくて、楽曲が見せることができる世界をお客さんには堪能してほしいし、そこに没入してほしいと思う。景色を見せたい。
-なるほど。
清浦:
例えば、私は1950年代のMGMのミュージカル映画が大好きなんですけど、まぁ、現実では起こりえないような華やかさなんですよ。そういうものを、私もTWEEDEESで作りたいと思うんですよね。やっぱり、私は夢を見ていたいし、素敵な夢を描きたいんです。
沖井:
50年代の話が出ましたけど、受け手である人々の本質も、実は50年代から変わっていないんじゃないかと、僕は思います。だから、2~3年前に『ラ・ラ・ランド』があんなにヒットしたわけですよね。あれは、僕も大好きでしたし。そういう意味で、僕も彼女が言っていることはよくわかるし、「50年代の」という註釈を付けなくても、今も生きているエンタメの形がそこにあるんだろうと思いますね。
清浦:
豊かになりたいんですよね。音楽を聴いて、心を豊かにしたいし、私も、心を豊かにできるような物語を作りたい。
-沖井さんは、清浦さんの「清浦夏実なんか、いなくなればいい」という感覚に共感しますか?
沖井:
よくわかりますよ。作家としては、「自分」よりも「作品」が受け入れられることのほうが、作り手冥利に尽きるんです。子供の頃に大好きだった音楽を、大人になってから「あれもバカラックだったのか、これもバカラックだったのか」と発見していくようなことってありますよね。あれは、 バカラック の音楽がバカラックの名前に勝っているわけで、それこそ、バカラックが本当に望んだことなんだろうと思うんです。作り手にとって一番大事なのは、自分の名前よりも自分の作品が可愛がり続けられることで。僕も、「沖井礼二なんて、いなくなればいい」と思います。だって僕自身、「沖井礼二という人間」より、「沖井礼二が作った曲」の方が好きですからね。
清浦:
……でも、最近の沖井さんのTwitter、すごいですよね? 「僕!」っていう感じ(笑)。
沖井:
だって、あれは音楽じゃないもん。
■ ファンコミュニティは試行錯誤の一環
-SNSの話になったので、TWEEDEESのファンコミュニティ「TWEEDEES CLUB」のお話も聞かせてください。
清浦:
このコロナ禍でライブ活動にも限界があるなかで、こういうお客さんと繫がるプラットフォームがあったことは、本当によかったなと実感していますね。
沖井:
そうだね。今、全世界的に伝染病が流行って、外に出ることができず、みんなが家でパソコンをいじっている状況があるわけで。そんな中にあってもエンターテイメントは必要なのであって、いろんな人たちが工夫を凝らしているわけですよね。
-そうですよね。
沖井:
例えば、昔、あれだけ素性を見せなかった キング・クリムゾン の ロバート・フリップ が、奥さんと家でダンスを踊っている動画が毎週バズっているんですよ。きっと、彼はこのコロナ禍で一番ファンを増やした人のひとりだと思うけど(笑)、ものすごく閉じた音楽をやっていて、その「閉じ方具合」がカッコよかった人が、今は、あんなにふざけた動画を上げて、しかも見る見るフォロワーを増やしていく。最初は、「あのお爺ちゃんはどうなっちゃったの?」と思ったけど(笑)、でも、僕はあの姿がすごくかっこいいと思ったんですよ。
清浦:
あれ、ズルいですよね(笑)。
沖井:
うん、でも、それはやっぱり今の時代だからできたことなんだよね。すごくよくセルフプロデュースされた見せ方だと思う。ロバート・フリップだって変わるくらい、今は、送り手も、受けても、作り手も、それぞれの立場で、そのやり方をいろんな人たちが模索していると思うんですよ。「TWEEDEES CLUB」も、その試行錯誤の一環というか。この先、あの場所を通して「もっとこんなことをやってほしい」と受け手から提案してもらうこともできると思うし、こちら側としても「それはできないな」っていうこともあるだろうし。そういうことを一緒に模索していけるのも、今の時代ならではだと思いますね。
-清浦さんは先日、「TWEEDEES CLUB」に「みそじ」というタイトルの記事をアップされていましたね。心に乙女を飼う身として、大人になることに対しての想いも、いろいろあるかと思うのですが……。
清浦:
そうなんですよね……。現場に行っても下の世代が増えてきたし、私ももう若者っていう感じではないんですけど、気持ちはTWEEDEESを始めたときとなんら変わっていなくて。どうやってこの先のキャリアを重ねていこうか、最近考えるんです。どんな大人になっていったらいいのか、皆さんに伺いたいくらい。沖井さん、どうですか?
沖井:
んん?(笑)。
清浦:
心に中二男子を飼われている沖井さんとしては、「大人になる」ということは、どういうことなのか……。
沖井:
歳を取ればとるほど、自分のなかに巣食っている中二男子が好きになるものなんですよ。僕は、自分のなかの中二がもう可愛くて可愛くて仕方がない!(笑)。
清浦:
(笑)。
沖井:
あとは、わかりやすい節目が来るときに、2年前くらいからもう備えておけばいいんじゃないかな思う。例えば、28歳の頃から、もう30歳のつもりで生活する、みたいな。そうやって自分が思う「かっこいい30歳」とか「過去いい40歳」を、2年前くらいから前倒しで始めておくと、周りよりはカッコいい大人になれるよ。
清浦:
……沖井さん、カッコいい50歳になれていますか?
沖井:
なれているよ、僕は。……というか、「カッコいい50歳になれていますか?」なんて、「なれていない」と思うから訊くんだろ!
清浦:
違う、違う、自己実現の話だから!
沖井:
もう知らないよ! 好きにすればいいよ!
清浦:
……中二男子が拗ねた(笑)。
(『DIGLE MAGAZINE』編集部 文:天野史彬/写:遥南碧/編:久野麻衣)