【前編】長く愛される作品を。TWEEDEESが語る音楽との向き合い方|DIGLE MAGAZINE

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2021/06/25 18:00

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DIGLE MAGAZINEとオールインワン型ファンメディア『Bitfan』が送る、“アーティスト活動”にフォーカスしたインタビュー企画。アーティスト選曲のプレイリストと共に、これまでの道のりやファンとの関係について掘り下げます。

(本記事は、DIGLE MAGAZINEに掲載された記事の転載です。)


今回はシンガー清浦夏実と沖井礼二(ex-Cymbals)によるバンド、TWEEDEESが登場。前編をお届けします。





Cymbalsのコンポーザーであった沖井礼二と、ソロシンガーとして活動していた清浦夏実によって結成されたTWEEDEES。2015年の1stアルバム『The Sound Sounds.』以降、彼らにとっての「ポップス」の真理を追求するかのような作品をリリースし続けている彼らに、今回、「TWEEDEESが時代を超えて愛するアーティスト」というお題でプレイリストを作ってもらった。


そこに並んだ、バンド、シンガーソングライター、映画音楽……様々な種類のグッドミュージックたちは、サウンドの指向性こそバラバラなものの、TWEEDEESの音楽と強いつながりを感じさせるものばかりだ。そんなプレイリストを紐解きつつ、ふたりの活動を振り返りながら、彼らが一体なににロマンを感じ、どんな眼差しを音楽に込め続けているのか、じっくり語ってもらった。


■ 理想の音楽を求めて


-今日は「TWEEDEESが時代を超えて愛するアーティスト」というテーマでプレイリストを作っていただきましたが、どの曲もTWEEDEESの音楽と強く紐づいていることを感じさせる曲たちですね。



M1~5 Selected by 沖井、M6~9&Spotify配信楽曲以外から「キミとボク」鈴木蘭々 Selected By 清浦


沖井:

  TWEEDEES  の出汁、という感じのプレイリストですね、これは(笑)。


清浦:

沖井さんが選んだ曲も、私が選んだ曲も、長くずっと好きであろう曲だなって思います。お爺ちゃんになってもお婆ちゃんになっても、好きな気持ちはきっと変わらないもの、というか。


-選曲を見て改めて思うのは、例えば最新の機材や流行りのサウンドを取り入れることに重きを置くのではなく、おふたりが人生において何を美しいと思い、ロマンを感じたのか? ということが音楽になるのがTWEEDEESなんだな、ということでした。


沖井:

時代と共に更新されるものや、世の中の空気は音に反映されるし、そういう部分も大事なんですけどね。でも、そっちに足をすくわれることのほうが、僕はイヤなんです。もちろん、使う機材は変わっていくだろうし、街やネットから自然と入ってくる影響もあるだろうし、新しいものを探すのも楽しいです。でも、「TWEEDEESの出汁」となると、こういう音楽になってきますね。


-「自分が作る曲が何年先まで残るのか?」ということは、音楽を作るうえで意識されますか?


沖井:

昔からずっと、僕にとってはそれが一番大事なことです。とにかく消費期限、賞味期限の長い音楽を作りたい。20年経っても30年経っても、変わらず飽きずに聴いてもらいたいし、そのときの10代、20代が「これいいじゃん」と聴いてくれるものを作れたらいいなと思っています。よく、「幻の名曲」とか、「隠れた名曲」と言われるものがあるじゃないですか。僕は、あれって実は名曲ではないんじゃないか? と思うんですよ(笑)。


-なるほど(笑)。


沖井:

そのときに物珍しくて話題になるだけで、本当にきちんとした名曲は、そういう廃れ方はしないと思う。もちろん、よくできた音楽でも、当時のプロモーション体制と合わなかったりして、世に出なくなってしまうものもありますけどね、  シュガー・ベイブ  の1stアルバムのような。でも、ほとんどの場合はそうではないと思うんです。今回のプレイリストでも、僕の選曲で奇をてらったものは1曲もないと思います。もちろん、レコードをたくさん掘って、誰も知らない名曲を探し出すことも美しい行為ですけど、レアなレコードを持っているけど、ビートルズを聴いたことがない人もいますよね。僕には、「まず、  ビートルズ  や  ストーンズ  を聴いてからでしょ」っていう感覚が、昔からずっとあるんです。


-今回、沖井さんのプレイリストにもストーンズが入っていますけど、「Connection」という選曲自体は、意外な感じもしました。




沖井:

ストーンズを最近、まとめて聴き直したんですけど、今一番引っ掛かったのがこの曲だったんです。最近、すごくストーンズがしっくりくるんですよね。なんでだろう……コロナのせいかなぁ。あの、甘えていない感じ。タフじゃないですか、ストーンズは。うんざりしていそうでもあるけど、タフで、独り立ちしている。そういうところが、いまの気分にピッタリとハマったんですよね。


-今日はプレイリストと共におふたりの活動についても掘り下げたく。かなり抜本的な質問ですが、おふたりが何故、音楽の道を選んだのか? という話を伺いたいんです。まず、沖井さんはどうですか?


沖井:

そもそも、僕は努力というものが嫌いでして(笑)。仕事って人生で一番、時間や自分自身を費やすものじゃないですか。僕が知っている範囲で唯一、努力や苦労が苦痛にならないものが音楽だったんですよね。当時、大学もろくに行かずにバンドばっかりやっていて、単位も全然取っていなかったんです。「じゃあ、大学を辞めて、唯一努力ができる音楽をやろう」と。一族郎党には「あなたには才能がないんだから」と反対されましたけど、才能がなくても努力ができるならいいじゃないですか。なので、わかりやすい理由ですよ。これしかできなかったんです。


-それから20年以上、音楽の世界で生きてきたことに達成感のようなものはありますか?


沖井:

僕は達成感を得るほどの成功は収めていないですよ。まぁ、自分の好きなもので食っていけていることは、単純に幸せですけどね。ただ、自分が作った曲のことはいまだに全部好きだし、聴き返すけど、自分が完全に満足する曲は作れていない気がする。なので、それを作らなきゃ死ねないな、とも思っています。そういう意味でも、達成感を味わっていないかな。いつか、理想の音楽を自分の手で作ってみたい……これは物欲だと思うんですけど。


-清浦さんが音楽の道を志したきっかけは?


清浦:

私は元々子役のようなことをやっていて、17歳の頃に〈フライングドッグ〉というレーベルからCDデビューしたんですけど、そこでアニメ主題歌を歌うことが、私が音楽に向き合った最初の経験だったんです。その活動も面白かったし、ボーカルや作詞の面で、アニメ作品との親和性を高めていくことにやりがいも感じていたけど、やっていくうちに、音楽のことをもっと知りたいと思うようになったし、与えられた材料で料理を作るだけではなくて、自分で畑から作ってみたくなってきたんです。そういう意識が芽生えたときに、「私は、自分がやりたいことしかやりたくない人間なんだ」と気がついて(笑)。そんなときに、沖井さんと出会ったんですよね。21歳の頃です。




-そして、TWEEDEESが結成される。


清浦:

そうなんです。私も沖井さん同様に、自分がやりたいこと、自分が叶えたいことなら頑張れるタイプのワガママな人間なんだろうなと思います。ただ、そう思いつつ、もう14年ほど歌を歌っていますけど、「どうやったら自信は生まれるんだろう?」とも思い続けているんですよね。別々の気持ちがあるんです。やりたいことしかやりたくないけど、全然、自信がついていかない……。


沖井:

自信満々でも、自分を見誤るだけだからね。自分がやっていることに愛情や愛着を抱くことはあっても、「これで俺は世界一だ!」となってしまったら、それはそれでもうお終いな気がするよ。


清浦:

うん……ずっとこう思い続けるのかなっていう気が今はしています(笑)。


沖井:

そういう人生なんだよ。満足しないんだよ、我々は。



■ 作家活動とバンドの関係性


-おふたり共、TWEEDEESでのバンド活動以外に、他のアーティストに曲や詞を提供する作家活動もされていますよね。バンドマンであり、作家である、ということのバランス感覚はどのようにしてあるものなのか、伺いたいです。


沖井:

振り返ると、  Cymbals  は「このバンドでデビューしよう」ということで作ったバンドだったので、当時、僕は「バンド内の専属作家」という気持ちだったんです。Cymbalsのために、Cymbalsに似合う曲を作る。そして、その調子でいろんなところに曲を書く作曲家になってやろうと思っていた。Cymbalsをやること自体が、就職活動みたいなつもりがちょっとあったんですよね。でも、Cymbalsをやっているうちに、「自分は思った以上にバンドマンなんだ」ということに気づいて。解散する寸前くらいから楽曲提供やCMのような、バンド以外のオファーが来始めたんですけど、やればやるほど、「僕はそんなに器用な作家じゃないんだな」ということに気づくんですよ。




-なるほど。


沖井:

それに、クライアントは、もちろん「沖井礼二」のテイストを求めてきてくれるんだけど、結局、求められるのって僕の過去楽曲でしかないんですよね。そっちばかりやっていると、自分の実験や、新しいものが作れない。僕には、それは物足りないんです。TWEEDEESを始めてから、「僕にはやっぱりバンド活動は必要なんだ」と改めて思いましたね。ひとりだと自家中毒を起こしたものになりがちだけど、バンドというフィルターを通したモノ作りをやっていると、自分でも工夫しなくちゃいけないことが出てくるし、それによって、広がっていくものもあるし。そして、また「TWEEDEESの沖井礼二」として広がったものを、別のところの人たちが求めてくれるかもしれない。それはすごくいい関係だし、僕の場合は、作家かバンド、どちらかだけではダメなんだろうと思います。


-清浦さんは、最近はRYUTistへの歌詞提供などもやられていますよね。


清浦:

私の場合は、ソロ活動のときもアニメ主題歌の歌詞を書いたりしていたので、思い返せばその頃から、自分の活動には作家的な要素はあったと思うんですよね。当時から作詞は単体で好きだったし、言葉が武器になることの喜びも、今はわかるし。ただ、沖井さんの場合は、ご自身のアーティスト性と作家性に乖離があまりないタイプだと思うんですけど、私の場合は、「自分の作家性ってなんだろう?」ということを、今まさに発見している最中という感じがします。TWEEDEES以外のお仕事をいただいたときに、「自分はこういうものを求められるんだな」とか、「自分はこういう人間だったんだ」と、改めて発見するような感覚があって。




沖井:

往々にして、外からオファーされる仕事は、鏡を突きつけられるようなもので。「俺は意外と足が短いな」とか(笑)、「そうは言いつつも、結構、指きれいじゃん」とか、そういうことに気づく……それはやっぱり、外仕事の魅力ですよね。バンドばかりやっていると見出せないことだと思う。


清浦:

そうですよね。自分の強みは、なんなのか……。最近、ハッとすることが多いです。


-現時点で、清浦さんが発見している「自分像」というのは、どういうものですか?


清浦:

自分で言うのは恥ずかいしんですけど、「夢見ていたい」っていうところが、私にはありまして……。本当に恥ずかしいんですけど。心に乙女を飼っている、というか(笑)。


沖井:

ははははは(笑)。


清浦:

恥ずかしい!(笑)……でも、そういうものばかり書いちゃうんですよね。例えば  RYUTist  の場合、無垢な新潟の女の子たちに、可憐で力強い曲を書きたいと思って何曲も書いているんですけど、それって、結局は私が好きで、描きたいものでもあって。それは私のなかの要素のひとつだし、絶対にTWEEDEESとも通じる部分があると思うんですよ。


-沖井さんから見ても、清浦さんは心に乙女を飼っていますか。


沖井:

本人が言うんだから、そうなんでしょう(笑)。でも、彼女曰く、僕は心に「中二」が棲み付いているんですよ(笑)。


清浦:

そう、そう!


沖井:

その中二が全然成長してくれないんですよね……もう51歳なのに(笑)。でも、それはそれで僕なんでしょう。僕が書いた歌詞を、「中二臭い」といわれて、この人にボツにされることもありますけど(笑)。


清浦:

(笑)まぁ、真逆とは言いませんけど、違う特徴を持っている二人が歌詞を書けるのは、TWEEDEESの幅ですよね。


沖井:

心に乙女を飼っている人と、心に中二の童貞が棲み付いている人がやっているのが、TWEEDEESです(笑)。




(『DIGLE MAGAZINE』編集部 文:天野史彬/写:遥南碧/編:久野麻衣)


後編に続く →


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